プラトンの「
ἀξία/axia(人間の内的価値)」をキケロが「dignitas」と翻訳したところから始まる「尊厳」という概念は、ルネサンスにピコが「人間の自由」と関連づけたのち、イギリス経験論では「rank」/「status」(社会的地位/身分)と結び付けられ、増減・消失する価値と特徴づけられました。これに対して、カントは、増減・消失不可能な「内的で絶対的な価値」と特徴づけ、義務論的な規範概念に仕上げました。結果、「尊厳」概念には「社会的地位/身分」と「絶対的価値」の両方が併存することになりました。これは現在の英米哲学とドイツ哲学における「尊厳」概念の理解にほぼ対応します。
「尊厳」概念は、カント以降、ショーペンハウアーらによって批判され、放棄が主張されましたが、二つの世界大戦を経て、巨大なカタストロフィに対する対抗理念として再び呼び出されることになりました(「国連憲章」/1945年、「世界人権宣言」/1948年、「日本国憲法」/1946年、「ドイツ連邦共和国基本法」/1949年)。その結果、「尊厳」概念は国内外の新しい国際社会秩序を支える理念に位置づけられ、法益の対象ともなったのです。その後も、国連やEUを中心として国際的な場面で継続的に強化されていきました。(「女子差別撤廃条約」/1979年、「障害者権利条約」/2006年、「国連GC」/2000年、「MDGs」/2000年。「SDGs」/2015年)。それとともに、先端医療技術の発達にともない生命倫理学の分野でも医療技術の濫用を抑止する概念として重要視されています。このように、「尊厳」概念は、現代社会の様々な課題を解決できる理念、社会統合の新たな理念として着実に国内外の国際社会秩序の基盤に繰り込まれてきたと言えます。
しかし他方で、「EU憲法」に「人間の尊厳」が導入されると、ドイツ語の”Menschenwürde”と英語の”human dignity”が内容的に一致しないことが比較法学的に明らかになりました。前者は客観的で絶対的な価値を、後者は主観的で相対的な価値を含意することが指摘されています。これは、前述のドイツ哲学と現代英米哲学の「尊厳」理解の差異に対応すると言ってよいでしょう。「尊厳」概念をめぐる状況は、現在では決して単純なものではなくなってしまっています。
「尊厳」概念は、現代社会の様々な「臨床応用的」課題を解決できる理念として国内外の国際社会秩序の基盤に繰り込まれながらも、その高い規範性ゆえに包括的理解/定義の不在という問題を抱えているのです。そこで、本研究は、多様で個別的な「尊厳」概念の学術研究を統合し、総合的に論じるための場として、「尊厳学」の確立を提案します。「尊厳学」では、学術横断的でより包括的な「尊厳」理解を構築するだけでなく、ロボット・AIといった先端科学技術やゲノム編集・iPS細胞研究などの先端医療技術、さらにヘイトスピーチ対策・高齢者介護・「コロナ・トリアージ」、尊厳死などといった喫緊の「臨床応用的」課題の解決を試みるとともに、得られた知見を市民講座や学校の現場、介護職員の教育の現場等に還元し、その社会的効果に関しても調査を行ない、それを統計的に分析してゆくことで、「社会実装」の遂行も目指します。